歳をとるしあわせ
50代後半。すっかり老眼で、目がよく見えなくなりました。
自分が若かりし頃、通っていた編み物学校で、だいぶ歳の離れた先輩方が
「まず、目からダメになるのよねえ。黒い毛糸は(編み目が見えなくて)いやだわあ」
と、言っていたことを思い出します。
そうかこういうことだったのか。実体験。
手はこわばるし、膝はキシキシいうし。
いずれも初めての体験で、新鮮にビックリしています。
会計関係の会社で会社員として働き続けていますが、
残念ながら、集中できる時間がどんどん短くなっていってます。
9時から5時まで、ずっと集中して数字見てるのなんか、もう無理!
数年前まで、退社時間になってもちょっと休憩してからまた残業してたのにねえ。
若かったからできたことですね。
さらに、新しい分野の知識は今やサッパリ頭に入りません。
というより、新しい知識を吸収し続けようという意欲が、もうサッパリありません(;^_^A
これまで習得したスキルで、現状の業務は十分回せるから
それをきっちりやっていくしかないですな。
これが老いるということなのか。
いや、こんなのはワタシだけかもしれないけど(;^_^A
他の人の老いがどんなものかわからないので
ワタシは自分の変化を、そういうものとして、受け入れていくしかない。
でも、悪いことばかりでもなくて。
家に帰ると、部屋に広がった材料たちがワタシを呼ぶ。
編み始めると、仕事でへとへとになった頭の中の何かがゆるんで、何かが整っていく感じがする。
本来の自分に戻った感じがして、ほんわかとあったかく、しあわせになる。
もはやできたものを売ろうとか、売れる売れないもあまり関係なくて
単純に作る楽しさに浸れるようになりました。
子どもの頃ワタシは、家にあった端切れで布人形を作り続けてた。
できる端から小さな段ボール箱に入れていく。
今思えば縫い目ガタガタ、縫い代とか全部外に出ててボロボロだったけど、関係なかった。
誰に見せるとかじゃなくて、やりたいから作っていました。
あの状態に今、戻ることができつつある。
どこに置かれても、ワタシはそこにある何かで、何かを作ってる。
誰も見てくれなくても、それがワタシのしあわせなのです。
自分の中から出てくるもので、自分がしあわせになる。
最強じゃんワタシ。
傍から見るとただの引きこもりのオバサンかもしれないが、
迷惑をかけず本人がしあわせならいいのです。
今後は「会社員のワタシ」は縮小していって
「なんにもなんないものを楽しく作ってるワタシ」の時間を増やしていこうと思います。
何つくろうかな。楽器も弾きたいしな。自転車も乗りたいしな。
そういうことを考えるとワクワクします(⌒∇⌒)
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